臥薪嘗胆

心意気 「明日迄の命の気持ちで、人生を!」 「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

『死の消去』『永遠の命』『死をめざして生きる』

🌸死をめざして生きる3

 

脳死と臓器移植があらわにした「死の消去」
 ☆資本と市場の論理

 *仏教の考え方とは正反対である

 *資本主義は、死を無用なものとし消去しようとする
 ☆資本と市場

 *多く労働し、多く生産し、多く消費し、多く交換する

 *効率のよい人間を必要とする

 *病人、高齢者、子供、犯罪者などは基本的に無用だ

 *「邪魔」にならぬよう、彼らを囲い込むのだ

 (病院・学校・高齢者施設等へ)
 ☆死は、労働も生産も消費も交換も完全に遮断する

 *人工呼吸装置の登場が状況を一変させた

 *臓器移植の技術的確立と、脳死という死の新しい概念

 *臓器移植の技術が確立しなければ

 *脳死判断など必要ない
 ☆脳死と臓器移植技術

 *資本と市場が支配する社会に潜んでいる

 *死の消去という意志を、初めて顕在化させた

 ☆「死んだ」人間の健康な肉体から

 *「生きた」臓器を摘出して

 *清明な自意識を持つ

 *「死にかけた」肉体に嵌め込むことだ
 ☆数字で示せば2人の死を消去して

 *1人の人間を「生かす」ことである

 
⛳「永遠の命」への欲望が辿り着く未来
 ☆資本と市場に潜んでいる死を消去したいという欲望

 *今後、医療・科学技術が追いつくとすれば

 *考えられる状況の一つが脳の移植だ

 *これが技術的に実現しても

 *移植先の人体の調達は簡単ではないし

 *脳もいつか劣化し、機能しなくなる
 ☆次に考えられるのは

 *人工的な内臓や筋肉などで

 *体の劣化した部分を代替する、サイボーグ化である

 *これも図抜けた長寿を実現できるだろうが

 *死を消去することはできない

 ☆将来ブレークスルーが起こって

 *事実上の「不老不死」が実現したら
 *そのときは、生に意味はなくなる

 *いつまでも死なないならば

 *原理的に「しなければならない」ことはなくなる

 *つまり、生自体が無意味になるのだ

 ☆自意識は簡単に外部から操作可能になり

 *「個人」はフィクションとして扱われ

 *何らかの社会的、経済的必要に応じて

 *そのたびに適当な「自己」がアイコンが仮設される

 *われわれは人格を複数持ち、

 *その全体を巨大なシステムが管理する
 ☆結局、「自己」はシステムの一単位になる

 *それは「自己」という言葉が無意味になる世界だ
 *死を消去する意志、「永遠の命」への欲望

 *心と体、精神と身体、意識と脳の二元論を前提にしている

 *このアイデアが人間違いであれば

 *両者の分離は結局、「自己」を致命的に変容させ

 *その同一性は持続しないだろう。
 ☆「自己の死」である死

 *「自己の死」以外にないと言うなら

 *死は消えない

 *死こそ永遠である

 *永遠の別名が「死」なのだ

⛳死をめざして生きる
 ☆「どうせ死んでしまうのに、なぜ生きるんですか」の問い

 *あるいは他者から問われたとき

 *生きる「理由」を答えようとするが
 *一切の答えを断念して

 *死を「どうせ」と投げ出さず、「めざして」行く

 ☆「死をめざして生きる」
 *予め破綻した「自己」の在り方を見つめ続けて

 *なお「生きる」

 *この過程こそが「死ぬ練習」だ
                     (敬称略)
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⛳出典、『「死」を考える』記事、画像引用

 

 

『死の消去』『永遠の命』『死をめざして生きる』

(ネットより画像引用)